世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★<印象派>(授業で多角的に考えるために⑦)

 

★通常の高校世界史では、美術史にはごく簡単にしか触れません。ルネサンス美術でさえ、10分程度で終わる教員もいると思います。しかし、美術史は汲めども尽きぬ泉のようなもので、さまざまな授業展開が可能です。

 

印象派の絵画は、日本でもとても人気があります。その印象派を、美術史や経済史・政治史・社会史から、総合的に考えてみたいと思います。

 

★なお画像は載せていませんので、スマートホン、パソコンなどでご確認ください。

 

 

印象派とは】

 

 19世紀後半フランスに表れた絵画の流派。旧態依然のアカデミズム絵画に異議を唱え、光と色彩を重視して、風景や市民生活を描きました。代表的な画家には、モネ、ルノワールドガピサロ、マネなどがいます。第1回印象派展は1874年に開催され、1886年まで8回開かれました。

 

 

【美術史から見ると】

 

印象派が描かなかったものは?

 ⓵「印象派が描いたもの」よりも「描かなかったもの」を考えたほうが、特色がよくわかると思います。

 ②印象派が描かなかったものは、キリスト、聖母マリア、ヴィーナスなど神話の神々、王や貴族の肖像などです。ルネサンス美術やバロック美術(オランダ絵画は除いて)とは、画家の関心がまったく違います。

 ③印象派という名称のもととなった、モネの「印象、日の出」(1873)は風景画でした。風景画は、当時は、まだ宗教画や物語画よりも価値が低いものとされていました。静物画も同じです。印象派の画家たちは、このような絵画ジャンルの序列を破壊したと言えます。

 

◆大きな背景:風景画の成立

 ①たとえば、ルネサンス期の宗教画や物語画、肖像画では、自然(風景)は絵の一部に描かれるもので、中心的なテーマではありませんでした。ただ、ネーデルラントでは、14世紀から、宗教画の一部として風景や花が精緻に描かれていました。

 ②風景画は、宗教画や物語画からしだいに分離し、独立していったと考えられています。そのきっかけとなったのは、宗教改革でした。プロテスタントでは宗教画が否定されたため、ネーデルラントの画家たちが風景画や静物画を描くようになりました。

 ③ルネサンス期のヴェネツィア絵画にもすばらしい自然描写がありますが、通常、美術史では、「17世紀のオランダで風景画が成立した」とされています。

  ④風景画はヨーロッパ全体に広がり、19世紀にはイギリスでコンスタブルが現れ、フランスではコローが活躍しました。二人とも自然との対話を続け、印象派への道を開きました。

 ⑤なお、重要なことですが、美術市場もまた、17世紀のオランダで初めて成立しました。美術市場がなければ、したがって画商の存在がなければ、印象派の評価は高まりませんでした。印象派の評価を高めたのは、デュラン・リュエルという画商でした。

 

 

◆光への注目

 ①16世紀末~17世紀初めのカラヴァッジョなどから、光を重視した劇的な描き方が始まっていきました。それが、17世紀のバロック絵画やレンブラントなどに引き継がれます。

 ②そして1839年、人びとがあらためて光に注目するようになる発明がありました。カメラの実用化です。フランスのダゲールによる銀板写真ダゲレオタイプ)でした。カメラの技術はまたたく間に発展し、1850年代には焼き増しも可能になりました。画家たちは、あらためて光、特に外光の作用に注目するとともに、写実性以外の造形的可能性を追求するようになっていきます。

 ③そして、チューブ入り絵の具の発明(1841年)が、外光の表現を加速させました。画家は、光の様子を見ながら、戸外で絵を完成させることが可能となったのです。

 

◆先駆者クールベと大作「画家のアトリエ」

 ①クールベを単に写実主義の画家と位置付けるのは、誤りのようです。19世紀半ば、フランスではまだサロン(公募官展)が権威を持ち、伝統的な物語画が主流でした。その中でクールベはサロンに背を向け、「眼に見える現実」を描こうとしました。クールベの自立した芸術家魂は、印象派の画家たちにも大きな影響を与えたのでした。

 ②クールベの大作「画家のアトリエ」(副題は「私の芸術生活の7年にわたる一時期を定義する現実的な寓意」、1855)には、画家自身をはじめ多くの人が描かれています。ここで注目しておきたいのは、詩人であり美術評論家であったボードレールや批評家シャンフルーリが描かれていることです。

 ③先に画商の活動に触れましたが、19世紀半ばには、絵の評価を支える批評家の存在もきわめて重要になったことが示されています。

 

◆マネの位置

 通常マネは印象派に分類されたり、「印象派の父」と呼ばれたりしますが、厳密には印象派ではありません。たとえば、スキャンダルを巻き起こした代表作「草上の昼食」、「オランピア」は、いずれも1874年の第1回印象派展以前の作品です。印象派展には1度も出品していません。しかし、伝統絵画を深く研究しながら新しい画風を切り拓くマネを、印象派の画家たちは敬愛していました。「オランピア」は、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(16世紀前半)を下敷きにしながら、「アンチ・ヴィーナス」を打ち出したものでした。マネの絵は、ルネサンス絵画以来の伝統を打ち壊したという意味で「革命的」だったと言われています。

 

◆女性画家

 近年、印象派の画家の中でも、コローやマネの弟子であるベルト・モリゾドガの影響を受けたアメリカ人メアリ・カサットが、注目されるようになっています。

 

ゴーギャンゴッホセザンヌ

 この3人の画家は、以前は「後期印象派」と呼ばれていました。しかし、近年は「ポスト印象派」と分類されています。印象派の影響を受けながらも独自の絵画表現を探究したという意味で、「ポスト印象派」です。

 

ジャポニスム

 1867年のパリ万国博覧会に出品された浮世絵版画は、フランスの画家たちの反響を呼びました。浮世絵の斬新な構図、平面的な彩色などは、マネや印象派、ポスト印象派の探究方向と響き合ったのでした。

 

 

【経済史・政治史・社会史から見ると】

 

産業革命による産業社会の成立

 ①18世紀後半にイギリスから始まった産業革命は、1830年代の七月王政期からフランスでも始まっていきました。資本家階級が形成され、中産階級の層が厚くなり、繊維産業などで働く労働者階級も増加していきます。労働者の生活は悲惨なものでした。

 ②イギリス(マンチェスターリヴァプール間)で1830年に始まった鉄道の営業運転は、またたくまにヨーロッパに広がりました。鉄道は、都市と都市、都市と農村の距離感を大きく変化させました。[モネは「サン・ラザール駅」を描きましたし、マネにも「鉄道」という作品があります。]

 ③その結果、人口の都市集中が起きます。しかし、19世紀半ばまでフランスの都市の衛生状態は悪く、1832年にはコレラが大流行しました。この時、パリでは1万人以上が死亡したと言われています(この頃のパリの人口は、約70万人)。

 

◆「産業帝政」

 ①ナポレオン3世による第二帝政期(1852~70)のパリ大改造は、上記の都市状況を解決するための必須の政策でした。1830年、1848年と続いた革命(バリケード市街戦)や暴動を防ぐという目的もありましたが。現在のパリの街並みが出来上がったことと同時に、上下水道が整備されたことは重要です。

 ②第二帝政期の政治的な評価は難しいものがありますが、この時期は経済成長期でした。1830年代からの産業革命の完成期にあたっており、「産業帝政」とも呼ばれるほどです。

 ③印象派は、第二帝政期に進行した都市文化の中から現れました。印象派の基盤は、ブルジョワ市民層の生活でした。また都市化の進展は、画家たちに自然の見つめ直しを要請することになったのだと思われます。

 ④同時代に、都市に背を向けた画家たちもいました。その代表が、農民たちの姿を描いたミレーです。

 

◆崩れた権威

 フランスはプロイセンとの戦争に敗れ、ナポレオン3世は捕虜となって退位します(1870)。重要なことですが、この時以来、フランスに帝政や王政が戻ることはありませんでした。皇帝や国王の権威がなくなった時代に、印象派は生まれたのです。既成の政治的権威が失墜したこととマネや印象派の登場で既成の美術アカデミーの権威が失われていったこととは、大きな社会の変化としてつながっているように思います。

 

 

【時代の困難と印象派

 

 印象派には、プロイセン=フランス戦争やパリ・コミューンの影は感じられません。しかし、第三共和政はまだまだ不安定な時期でした。画家たちの多くは、やがてドレフュス事件も経験することになります。

 もちろん単純に政治と美術を結びつけることはできませんが、そういう時代に生きたからこそ、画家たちは光と色彩の表現を追い続けることに専心したのでしょうか?

 印象派の作品に影がないわけではありません。たとえば、マネの「フォリー・ベルジェールのバー」(昨年日本で展示されました)やドガの「カフェにて」に描かれた女性には、都会生活の虚脱感が感じられます。マネは、「オランピア」では、あえて黒人の小間使いも登場させています。

 しかし、全体としては、明るく穏やかな幸福感を感じさせる絵が多いと思います。そこにあるのは、もう神の光ではなく、自然の陽光です。多分、どんな時代になっても、生きることの困難がある限り、人びとは印象派の絵画を愛し続けるのではないでしょうか。

 

【参考文献】

三浦篤ほか『印象派への招待』(朝日新聞出版、2018)

高階秀爾『近代絵画史(上) 増補版』(中公新書、2017)

・渡辺信輔・陳岡めぐみ『国立西洋美術館 名画の見かた』(集英社、2020)

高橋裕子『西洋絵画の歴史2』(小学館101ビジュアル新書、2016)

三浦篤『西洋絵画の歴史3』(小学館101ビジュアル新書、2016)

中野京子印象派で「近代」を読む』(NHK出版新書、2011)

・木村泰司『ゴッホゴーギャン』(ちくま新書、2019)

・谷川稔ほか『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』(世界の歴史22、中央公論新社、1999)