世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

★オルガ・トカルチュク「ノーベル文学賞記念講演」について

 

◆オルガ・トカルチュクは、ポーランドの作家です。昨年、ノーベル文学賞を受賞しました(形としては2018年の賞)。2019年12月7日に行われた講演の全訳を読んでみました。

 

◆現代世界の困難とその中で紡ぐ希望について述べた、すばらしい講演でした。

 

◆トカルチュクは、今という時代を次のようにとらえています。

 「もはや旅行中に日記をつける必要はなく、写真を撮ってSNSで世界に発信すればいい。一瞬でみなに届きます。手紙を書く必要もない、電話する方が簡単ですから。ドラマや映画に夢中になれるのに、なぜ分厚い小説など読むでしょうか。(中略)だれかの自伝に手を伸ばすかって? そんなもの意味がありません。だってセレブの生活をインスタグラムでフォローしていて、彼らについてなんだって知っていますから。」

 

◆また、次のように語ります。

 「世界は死にかけているのに、わたしたちはそれに気づきさえしません。わたしたちは見逃しています。世界が事物と出来事の集積になりつつあることを。生命のない空間になりつつあることを。そんな世界を移動しているわたしたちは、孤独で、途方に暮れていて、だれかの決定に揺さぶられ、理解できない運命や、歴史か偶然の巨大な力にもてあそばれる玩具にでもなった気分に苛まれているのに。」

 

◆私たちのこのような状況の中で、トカルチュクは、文学の可能性について語ります。彼女は、その中心に「優しさ」をすえています。『それはわたしたちが、注意深く集中してべつの存在、つまり「私」ではないものを見るときにあらわれます。』

 

◆トカルチュクが、「べつの存在」、『「私」ではないもの』と言う時、天体や自然、動物だけでなく、物をも含んでいることには少々驚かされました。「わたしは、人間とまったく同様に、物には物の、問題、感情、社会生活すらあると、深く信じていた」という部分は感動的ですらあります。

 

◆トカルチュクの歴史認識も、透徹したものです。たとえば、1492年のコロンブスの出航が「5600万から6000万人近くのネイティヴアメリカンの死」に通じていたことを、きちんと述べていました。

 

 ◆母親の思い出以外は、ポーランドについては触れていません。多分、小説には描かれているのでしょう。トカルチュクの小説は読んだことがありませんが、この講演を読むと、彼女が西欧文化の伝統の中で考えていることもよくわかります。

 

ポーランドを東欧に分類すると、<東欧・ソ連>や<東欧・ロシア>という括りに流されてしまいます。その結果、ポーランドが中世半ばからカトリックの国であり続けてきたことなどが、見えにくくなってしまいます。詳述は避けますが、トカルチュクの講演を読みながら、ポーランドは<中欧>の国であると、あらためて思いました。

 

ポーランドで生きていても、日本で生きていても、私たちは同じ状況にぶつかっています。そのことが、痛切に伝わってくる講演でした。

 

ノーベル文学賞受賞記念講演 オルガ・トカルチュク「優しい語り手」[小椋彩訳、「世界」2020年3月号所収、岩波書店]』