世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

◇書評 若松英輔『考える教室 大人のための哲学入門』

 

◆コンパクトですが、中身の濃い哲学入門書だと思います。なかなか、このような入門書を書けるものではありません。若松さんの思想の深さがよく表れています。

 

◆「<問いを立て、対話しながら、考えを深めていくこと>、その<たましいの旅>に立ち現れてくるのが、その人の哲学だ」と、若松さんは述べていると思います。

 

ソクラテスデカルトアーレント吉本隆明の4人が取り上げられています。入門書で、紙幅の制限もありますので、やむを得ないのですが、やや物足りなさを感じる部分はあります。また、ソクラテスデカルトアーレントの思想は、少し若松色に染まっている感じがします。それは、アーレントのところで石牟礼道子に触れているあたりにも、よく表れています。

 

ソクラテスデカルトアーレントの哲学が、<若松英輔の世界>に引きつけられて紹介されるのは、しかたありません。あとは、読者が腑分けすることが望まれます。3人の哲学は、<若松英輔の世界>とは少し異なるところに、それぞれ別個に築かれているはずです。

 

◆医療用の画像に譬えれば、次のようになるでしょうか。ソクラテスデカルトアーレントには、堅固なロゴスの骨格と太い動脈や静脈が見えます。若松さんの場合は、日本的霊性の毛細血管とロゴスを含んだカトリシズムの骨格が微妙に絡まりあっています。

 

◆この本では、対話がキーワードの一つになっていますが、英語の dialogue の語源はギリシア語の dialogos です。dialogos は、「ロゴスを分かち持つ」という意味だと、中村雄二郎さんの本で読んだことがあります。対話の本質が端的に示されていると思います。そして若松さんは、多分、人間の「たましい」の神秘(=霊性)とギリシアに始まるロゴスを、矛盾なく共にとらえようとしているのでしょう。

 

◆4人目の吉本隆明についても触れておきます。吉本隆明を取り上げているという点では、異色の哲学入門書と言っていいでしょう。吉本の場合は、ロゴス構築の意図を持ちながら、日本的霊性を情緒に流れず吸収していたと思います。

 

◆若松さんには、直接吉本に話を聞いた経験があるとのことです。そのためでしょう、他の3人の哲学者よりも、人となりがよく伝わってきます。多分、若松さんは、吉本の謦咳に接することのできた、最後の世代だと思います。

 

◆私は、ちょうど『共同幻想論』出版の頃、吉本隆明の講演を聞いたことがありました。北村透谷についての講演でしたが、すごい迫力でした。その前後合わせて20年ぐらい、吉本隆明は特別のオーラを放った思想家だったと思います。

 

◆その吉本もほとんど忘れられ、『共同幻想論』はもう過去の本になってしまったかと思っていました。しかし若松さんは、『共同幻想論』をあえて取り上げ、その問題意識を引き継ごうとしています。とても考えさせられました。

 

◆もしかしたら、若松さんは、改元の時期に、「共同幻想」という論点を提起したかったのかもしれません。「共同幻想」は「たましい」の問題ですが、国家や天皇制にも関わるからです。ちなみに、本書は「2019年4月30日 第1刷発行」となっています。4月初めには店頭に並んでいたにもかかわらず、です。

 

◆「たましい」の神秘とロゴスを共にとらえようとした哲学者に、シモーヌ・ヴェイユがいます。若松さんが、いつか、シモーヌ・ヴェイユについて一冊の本を書かれることはあるでしょうか? ひそかに期待しているのですが。

 

若松英輔『考える教室 大人のための哲学入門』、NHK出版、2019】