世界史の扉をあけると2

<世界史の扉をあけると>の続編です

世界史 こんな「考える授業」をしてみました 13【イスラームの成立】

★7世紀初頭、イスラームアラビア半島で成立しました。ユダヤ教が成立してから1,100年、キリスト教が成立してから600年が経っています。

 

★なぜ、ムハンマドは、新たな一神教を創始したのでしょうか?

 

★いろいろ考えてきましたが、この問いに答えることは、それほど容易ではありません。仏教やキリスト教の成立について説明するより難しいと思います。

 

◆授業では、ムハンマドに神の言葉を伝えたのが大天使ジブリールとされていることに注目するよう、話してきました。ジブリールは、ユダヤ教キリスト教の大天使ガブリエルだからです。このことからも、イスラームが、ユダヤ教キリスト教の深い影響下に成立したことが分かります。

 

◆しかし、「イスラームユダヤ教キリスト教の深い影響下に成立した」ということは、どういうことなのでしょうか? 

 

◆完全な答えにはなっていないと思いますが、授業では次の点に留意するよう話し、生徒たちにも考えてもらっています。

 

 ① シリア~パレスチナヒジャーズに、言わば「一神教の三日月地帯」ができていたこと。

 ※シリア~パレスチナは、もちろんキリスト教の地域でした。メッカより北のヒジャーズには、パレスチナを追われたユダヤ教徒がいました。特にヤスリブ[メディナ]にはユダヤ教徒も多かったのです。メッカは多神教の中心でしたが、ヤスリブにはすでに一神教の基盤がありました。そこに、ヒジュラが行われました。

 

 ☆授業では、①の地域とムハンマドの関わりを質問し、考えてもらいます。質問の答えが②になります。

 

 ② ムハンマドは、この「一神教の三日月地帯」を、隊商貿易で行き来していたこと。

 ※したがってムハンマドは、多神教のメッカとは異なる精神風土に、20年ぐらいは断続的に接していたと思われます。

 

 ③ 選民思想や「救世主」、「三位一体」、「原罪」というような考え方が、イスラームに見られないこと。

 ※ムハンマドは、先行する一神教に共鳴しながらも、より純化した一神教を強く求めたと言えます。キリスト教におけるキリスト像・マリア像の礼拝は、ムハンマドからは偶像崇拝と考えられました。

 

 ④ ムハンマドたちによるメッカ征服は、アラビア半島多神教信仰の敗北を意味したこと。

 ※カーバ神殿にあった複数の偶像は破壊されます。

 

★現在のところ、以上のような視点から、イスラームの成立を取り上げています。ユダヤ教の成立から1,100年の時を経て、一神教が再確立されたという見方に立っています。

 

★なお、①については、小杉泰『イスラーム帝国のジハード』(講談社、興亡の世界史06、2006)の40ページをご覧ください。わかりやすい地図が載っています。

 

イスラーム世界の拡大とは、純化した、新たな一神教による、古代オリエント多神教世界の消滅ということにほかなりませんでした。